佐藤継信といえば、愚直を絵に描いたような男。 弟の忠信と違って、女子を喜ばせるような事は言えないし、朴念仁振りに関しては、弁慶と良い勝負・・・・というのが、【以前】の仲間内での認識だった。 そう、【以前】の。 では ―― 【今】は? 朴念仁の惚気方 その発端は大した話ではなかったのだ。 その日は先日、諍いを納めた礼をしたいからと近くの村へ呼ばれていた義経が戻り、久しぶりに賑やかな夜だった。 日ノ本での争乱の末、逃れる形で大陸に渡った義経とその郎党達だったが、今では草原に小さな集落を作って暮らしている。 最初は自分達の天幕だけだったが、いつしか義経の人柄を慕う大陸の民達も少しずつ周りに増え始め、今では義経の小さな邸を中心にしてそれなりの村ができあがっていた。 近隣の村のもめ事の仲裁などに手を貸すようになった義経に、郎党の面々も遺憾なくその実力を発揮しているのは沙耶にとっても嬉しい事ではあるのだが、一度出かけてしまうと数日は会えなくなってしまいことだけが少しばかり恨めしかった。 特に今回の遠出では、沙耶の夫である継信が義経の供としてついたので、寂しい思いはひとしおで。 だから、無事に帰ってきたということで、いつも以上に張り切って宴の仕度をし、いつも以上にはしゃいでいたのは確かだった。 その宴での話である。 「ご無事のご帰還、お喜び申し上げます。」 旅の埃を落とし、こざっぱりした格好で宴を始めて少したった頃、商いの為に到着が遅れた千鳥が到着し、まずは義経にそう頭を下げた。 「ご無事も何も、今回は宴会に招かれただけだからな。」 いつもながら隙のない千鳥の挨拶に、上座の義経がくったくなく笑った。 その脇にならんで座っている忠信と弁慶も頷いた。 「ほんと、今回はもてなされて帰ってきただけですからね。こんな楽なお役目はいつでも大歓迎だよ。」 「・・・・あの村は夜盗に苦しめられていたからな。」 「夜盗が出没して困ってるってことで、みんなで夜盗を捕まえにいった村でしたっけ。」 弁慶の杯に酒を注ぎながら、沙耶は思い出すように問うた。 この草原の国では未だ有力な支配者がいないらしく、小さな村が自衛に苦しんでいるところも多い。 そんなところへ出向いてもめ事を解決するのは、義経達の得意とするところだ。 「夜盗の連中も食うに困ってって奴だったからな。俺が説得して村に新しく住まわせてもらえるようにしてやったんだぜ!」 ふんっと胸を張る琥太郎に沙耶は苦笑した。 交渉事が得意な琥太郎なので、その発言の八割は間違っていないのだろうが、どうしても大きな事を言いたがるくせがあることを知っているせいか、素直にすごいと言いにくいのだ。 実際、弁慶と反対側の義経の脇に座っていた継信が杯を置いてため息をつく。 「その前に御曹司や俺達が夜盗の頭を捕まえていたからだろう。」 「そうだぞ、琥太。調子にのるな。」 佐藤兄弟に両方から窘められて、琥太郎は面白くなさそうに鼻を鳴らした。 その様子を見ながら弁慶は杯を僅かに煽る。 「・・・・それに、あの連中が一人でも村の者を殺めていたらあれほどすんなりとは話が進まなかっただろう。」 「ああ、そうだな。夜盗に落ちたとはいえ、本来は善良な民であったのだろう。」 しみじみと頷きあう義経達を見て、沙耶は嬉しくなる。 日ノ本では時代や立場が違えば良い関係を築けたかもしれない人達と戦で殺し合わなければなからなかった彼らだからこそ、戦にせず諍いを納められたことが嬉しかったのだろうとわかるから。 (こういう宴ならいつでも大歓迎だよね。) ちらっと見れば、いつもはお酒の匂いだけでも酔ってしまう忠信も今日はしっかりと話している。 この調子なら、もう少しお酒を振る舞っても大丈夫かな、と沙耶は継信の杯に注ぎきって空になった瓶子を持って勝手場へ行こうと腰を上げた。 と、その時。 「そういえば、義経様。今回の宴では村長の娘御を妻にもらってほしいと乞われたとお聞きしましたが?」 不意に千鳥の言った言葉に、沙耶は驚いて振り返った。 「え?そうなんですか?」 「うん?ああ、まあな。」 目をまん丸くして見てくる沙耶に、義経は少し苦笑する。 その様子が面白かったのか、忠信がにまっと笑って言った。 「驚きましたよね。宴もたけなわになって、村長が改まって、御曹司に自分の娘を妻にしてはくれないかって言ったんだよ。」 言葉の後半は沙耶に向けて言われて、沙耶もへえっと立ち上がりかけていた腰を下ろす。 と、隣にいた継信が杯を持ったまま苦い顔で忠信を睨んだ。 「忠信。勝手に話をするな。」 「いや、構わん。結局断ったしな。」 「え!?断っちゃったんですか?」 さらりと受け流した義経の言葉に、沙耶は思わずそう言ってしまった。 「ああ。先方の娘御に何か問題があったわけでもないが、気が進まなくてな。」 「結構美人だったのにもったいなかったんじゃないですか?」 宴の気安さも手伝ってか、茶化すような事を言う忠信に琥太郎もうんうん、と頷いた。 「俺もそう思う。美人で髪も綺麗で、なんつうか、色っぽかったよな。誰かと違って。」 「なっ!」 琥太郎の言葉に、沙耶はかちんっときて声を上げた。 明らかに沙耶をからかうための言葉とわかっていたが、女としては聞き捨てならない。 「何それ!琥太郎くんってばいつからそんな事を言うようになったの!」 仕返し、とばかりにお姉さんぶった口調でそう言うと、分かりやすく琥太郎もむっと顔をしかめた。 (年下扱いが嫌いなのは知ってるけど、それにしても相変わらず単純に引っかかるなあ。) ほんのちょっとだけそんな心配が頭をよぎったが、すぐに忘れた。 なにせ。 「ふん、俺だってもう一人前の男だかんな。色っぽい女の方がいいに決まってんだろ。やせっぽちより。」 「やせっ!?」 沙耶みたいな、という枕言葉がついている密に気にしている事を言われて本格的にかちんっときた。 (そ、そりゃあ、こっちの女の人はみんな扇情的っていうか、色っぽいって言うか・・・・胸が大きい人も多いけどっっ!!) そう思っている時点ですでに気にしていますと言っているようなものなのが、かなり悔しいが。 有り体にいえば、気にしていないわけではない・・・・というか、むしろもの凄く気にしている。 もともと子どもの頃から沙耶は華奢な方で、豊満な美人というのにはほど遠い系統だと思っている。 それ自体が駄目とかそういうわけではないのだが、そこは乙女心。 ちらっと目を走らせたのは、隣で何故かずっと黙ったままの継信だ。 (もしかして・・・・やっぱり継信さんもそういう女の人の方がいいのかな。) 一心同体だと言ってくれた継信の気持ちを疑うわけではないが、じわりと心の底に小さな不安がシミのように広がった。 そんな沙耶の気持ちを見通したように、義経が苦笑する。 「おい、継信。何か言ってやったらどうだ?」 「は?」 「は?ではないだろう。沙耶が不安そうな顔をしている。」 いかにもきょとんとした継信の反応に、弁慶も仕方が無いなとばかりにため息をついて言葉を添えた。 この時点で宴に揃っていた面々の頭にあった次の展開は、朴念仁が故に指摘されて気が付いた継信が慌てて沙耶の事を庇うものだった。 が、おおかたの予想に反して何故か継信は少し困ったように照れ笑いを浮かべて言ったのだ。 「恥ずかしながら、俺も女人の色気というものに惑わされるのは悪くないものだと知ってしまったものですので。」 「「「「「・・・・え?」」」」」 空気が凍り付く、とはまさにこのことであっただろう。 継信以外の全員が頭の上から膠でもぶちまけられたように固まってしまった中で、商売人として鉄壁の理性をもつ千鳥だけが、張りつきの笑顔を継信に向けて言った。 「これはこれは・・・・。もしよろしければ宴の席の事。継信様のおっしゃられる女人の色気についてお伺いしたいものでございますね。」 「なっ!そ、それは、だな。」 「お話し下さいますね?」 にっこり。 絶大な強制力をもつ千鳥の笑顔に、継信は軽く口元を引きつらせた。 なんだかよくわからないが、皆が言葉を発さなくなってしまった以上、千鳥と同意見とみる他ないようだ。 気恥ずかしさを誤魔化すように杯を軽く煽って、継信はしゃべりだした。 「その・・・・だな、例えば抱き寄せた時の腰の細さ、とか。」 「ほおう。」 「指の間を滑る柔らかな髪とか。いつまでも撫でていたくなる。」 「・・・・兄貴、意外と髪好き?」 「上目遣いに見られると胸の内が、どうもこう、疼くというかなんというか・・・・抱きしめたくなるだろう?」 「・・・・俺に同意を求めるな。」 「細い指が縋るように俺の衣を握ってくれたり、愛らしい唇で歌うように名を呼んでくれたりすると、思わず、だな・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ちょっと、待て?まさかこの話」 さすがにその先は差し支えが、と誤魔化した継信の話を黙って聞いていた義経が口元を引きつらせて言った。 その言葉に弁慶がこくり、と頷く。 「兄貴、まさか・・・・」 「まさかっつか、これって」 忠信と琥太郎が信じられないものを見るような目で継信を見て。 「「「「なんで沙耶の話をしてるんだ!」」」」 見事にはもった四人の声に、継信は驚いたように目を丸くした。 「いや、だから女人の色気の話をしろと・・・・」 「兄貴、それは世間一般的な話であってだね。」 「お前が沙耶にどんだけ惚れてるかって話じゃねーよ!」 弟分達から二重に突っ込まれて継信は憮然とした顔をする。 「世間一般の話など俺は知らん。」 「ど、堂々と言い切るな。ではお前が琥太郎に沙耶がやせっぽちと言われて黙っていたのも」 「何!?琥太郎!沙耶を侮辱するような事を言ったのか!?」 「・・・・ただわかっていなかっただけか。良かったな、沙耶。継信は欠片もお前の事を『やせっぽち』などとは思っていないようだぞ?」 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!!」 義経の言葉にとうとう沙耶は顔を押さえて頭を抱えてしまった。 嬉しいやら、恥ずかしいやら、もう色々ツッコミ所はあるが、言葉にならない。 とりあえず。 「〜〜〜〜継信さんのばか。」 「!?」 「お酒もらってきます!」 継信が驚いている気配はしたものの、それだけ言って沙耶は勝手場へと逃げ出したのだった。 〜 終 〜 |